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●30代

1928年(昭和3年)30歳
2月8日、ワルトラウト・プランゲと結婚。この頃、演奏の力量を認められ当地でフランクの「ソナタ」をレコード化、発売するほどになる。結婚後しばらくして、母・良危篤の報を受け帰国。のち、章、二三雄、喜久雄の三人の弟と「鈴木クワルテット」を結成、まもなく東京へ移り、ラジオ出演や各地でのコンサート開催と活発な演奏活動を始める。この頃より国立音楽学校講師を務める。


1931年(昭和6年)33歳
カルテットの活動を続けながら、東京世田谷に創設された帝国音楽学校の教授に就任。教授陣は、声楽の柳兼子(柳宗悦夫人)、森民樹、平間文寿、学理に青木謙幸、野村光一、ピアノは高木東六、チェロがコンスタンチン・シャピロ、ヴァイオリンにアレキサンダー・モギレフスキーら。この頃、4歳の江藤俊哉が鈴木の指導を受け始める。

1932年(昭和7年)34歳
10月、『音楽講座』(文芸春秋社刊)第9篇「絃楽」で〈ヴァイオリン及び弓の研究〉、11月、同第11篇「室内楽」で〈日本ヴァイオリン史〉を執筆。

1936年(昭和11年)38歳
『アルス音楽大講座』(アルス刊)第6巻「絃楽器の実技」で〈カイザーの練習〉を執筆。

1937年(昭和12年)39歳
『誰にでも出来るヴァイオリンの音の矯正法』(大日本音楽協会叢書)を共益商社書店より出版。この間、毎日音楽コンクール審査員、国立音楽学校講師など務める。同時に、自宅で幼い江藤俊哉、豊田耕兒、小林武史・健次兄弟、有松洋子、鈴木秀太郎、諏訪根自子らにヴァイオリンを指導する。3歳の豊田が演奏会でドヴォルザークの「ユーモレスク」を弾いて“天才児現る”と新聞に書かれたり、11歳の江藤が毎日音楽コンクールで1位になり文部大臣賞を受けるなど、話題を呼んだ。

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