●20代
1918年(大正7年)20歳
この年の秋頃から呼吸器疾患で肺尖カタルの恐れありと診断され、静岡県興津の旅館で約3ヵ月間の療養をする。この間、同宿した北海道の事業家・柳田一郎一家と親しく交際。
1919年(大正8年)21歳
8月、柳田の紹介で徳川義親侯爵ら一行の北千島探険旅行に参加。徳川侯爵や同行のピアニスト・幸田延(幸田露伴の妹)にヴァイオリンの本格的勉強を勧められる。
1920年(大正9年)22歳
この春、父。政吉の許しを得て上京、徳川侯爵家に寄宿し、ヴァイオリンを安藤幸(幸田露伴、延の妹)に師事。安藤の勧めもあって、上野の東京音楽学校入学をめざすが、同校の卒業記念演奏会での学生の演奏を聴いて失望、受験を断念。以後、ヴァイオリンの他、弘田龍太郎に楽典を、田辺尚雄に音響学などを学ぶ。徳川侯爵家を訪れる物理学者・寺田寅彦、音声学の大家・颯田琴次らからも薫陶を受ける。
1921年(大正10年)23歳
10月、徳川侯爵らの世界一周旅行に同行し、ドイツヘ留学。ベルリンで師を選ぶべく音楽会めぐりをする。
1922年(大正11年)24歳
知人の紹介で聴いたクリングラー・クヮルテットの演奏に深く感動。カール・クリングラー(ベルリン高等音楽学校教授)を訪ね、入門を許される。その奏法ととも|こ、芸術の魂をも深く学ぶこととなった。この頃、同じくドイツ留学をしていたヴァイオリニスト・佐藤謙三夫妻、作曲家・成田為三、社会主義研究の石浜知行・九州帝大教授、森戸辰男夫妻、経済学研究の大内兵衛らとの交流からも感化を受ける。
1925年(大正14年)27歳
当時、親交を結んでいた医学者ハンス・ミハエルス教授の紹介で物理学者アルバート・アインシュタイン博士やその知己たちとの交際が始まり、人間的感化を受ける。この頃、知人宅で催されたホームコンサートで、のちに夫人となるワルトラウト・プランゲとめぐり会う。この年一時帰国し、11月には東京の邦楽座で帰朝演奏会を開き、好評を博す。再びベルリンヘ。
|