19世紀末から20世紀末まで、人類の歴史の中でも最も激動の時代をフルに駆け抜けた鈴木鎮一先生の生涯は、すこぶる波瀾万丈、そのめくるめくような軌跡をたどるだけで、大河ドラマを読破したような満足感があります。ヨーロッパの伝統文化に裏打ちされた芳醇な香り、国内津々浦々までの才能教育運動の拡大、そして新大陸アメリカの熱狂…。その思いは21世紀を10年経た今でも、色褪せることなく、新たな地平を築かんとさまざまな動きに結実、さらに発展しています。世界のそこかしこで、スズキ・メソードがあり、鈴木鎮一先生の蒔かれた種が大きな樹木に育っているのです。ここにあらためて、鈴木先生の生涯を記します。 |
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●誕生から10代
1898年(明治31年)
10月17日、名古屋市東門前町に生まれる(父・政吉、母・良)。政吉は国産ヴァイオリンを初めて製作、1888年にヴァイオリン製作工場を設立、一時は世界最大の工場となる。
1905年(明治38年)7歳
名古屋市立高丘小学校に入学。1年から6年まで担任の柴田先生の温厚な人柄に大きな感化を受ける。
1910年(明治43年)12歳
市立名古屋商業学校入学。同校のモットー「一に人物、二に技量」の精神は、その後の生き方の指針ともなる。夏休みや放課後などヴァイオリン工場を手伝う。
1915年(大正4年)17歳
このころ『トルストイ日記』を愛読。強い感銘を受ける。以後、禅の本や哲学書に親しむ。同じころ父が購入した蓄音機でミッシャ・エルマンの弾くシューベルトの「アヴェ・マリア」を聴き感動を受ける。これをきっかけに本格的なヴァイオリンの練習を始める。
1916年(大正5年)18歳
商業学校の卒業試験にさいして級友のカンニングに対する学校側の処分に抗議、鈴木を中心に全学ストライキにまで発展したが、学校側の処分撤回で全面解決。3月15日、市立名古屋商業学校卒業。鈴木バイオリン工場に入社、輸出業務を担当。
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