展示室は、国内外から鈴木先生を慕って訪れる生徒たちや、将来スズキ・メソードの指導者になろうとする研究生たちのレッスン室として使われていた場所です。鈴木先生のレッスンは「美しい音の追求」が基本で、大変厳しいものでしたが、ひとたびレッスンが終わると、生徒たちとの楽しい語らいの時間が待っていました。現在は、鈴木先生の在りし日の姿を伝える写真や貴重な直筆の原稿、親しくお付き合いをさせていただいたアインシュタイン博士からの手紙、さらには国内外で受賞したメダルなどを展示しています。年に4回程度開催される記念館コンサートでは、この場所が会場となります。


●展示室

 鈴木鎮一記念館は、松本市名誉市民である鈴木鎮一先生が、1952年(昭和27年)から1994年(平成6年)まで住まわれた邸宅で、スズキ・メソードが国内外に発展の礎を築いた地です。かつて、ピアノのアルフレッド・コルトー、ヴァイオリンのアルテュール・グリュミオーやレオニード・コーガン、ノーベル生理学・医学賞受賞の利根川進氏など、世界の著名人が松本を訪れ、鈴木先生と面会しています。記念館では、当時の資料など数多くの貴重な資料を展示しており、スズキ・メソードの真髄を知ることができます。


●書斎

 書斎には、鈴木先生が毎朝未明から仕事をされていた状態が再現されています。特に、机の上には、愛用の備品がそのまま残されています。この場所で、鈴木先生は、毎朝3時から8時まで全国から送られてくる卒業録音のテープを聴くことが日課になっていました。そして、聴き終わると、これからの学習ポイントが吹き込まれ、返送されました。鈴木先生が95歳まで聴き続けました。年間1万本を越えたのは、83歳の時でした。生涯では天文学的な数のテープを聴いたことになります。「日本中の子どもたちの弾く音を、聴きたいじゃないですか!」というのが、鈴木先生の率直な思いだったのです。


●食堂

 食堂は、鈴木先生とワルトラウト夫人以外にも、いつも生徒たちがいた場所でした。研究生たちが朝レッスンに来て、先生ご夫妻と昼食を食べ、またレッスンを受け、帰る前にお茶を楽しむのもこの食堂でした。他の生徒のレッスン中の見学も大切な勉強の機会でしたから、いつも生徒たちであふれていました。現在は、テレビも置かれていて、各種映像資料などを見ることができます。


●鈴木鎮一先生記念碑(胸像)

 記念館入口にある記念碑は、鈴木先生の唱えたキーワード「どの子も育つ 育て方ひとつ」の文字が入り、ひときわ目立ちます。この胸像は、松本生まれで信州を代表する彫刻家、洞澤今朝夫(ほらさわけさお)さんの作品で、開館以来、記念館のシンボルとして多くの入館者を迎えてきました。洞澤さんの作品は、この他にも松本市立図書館前のブロンズ像「望郷」や松本駅前のブロンズ像「萌春」で見ることができます。


●応接室

 往年の芸術家たちが訪れ、鈴木先生との楽しい語らいの場が持たれたのが、この応接室です。当時は珍しかったソニー製のプロジェクターが、応接室前のサンルームに置かれています。海外からの賓客にいろいろな映像をご覧いただいていたのでしょう。