鈴木鎮一先生が松本に移り住んだ理由の一つに、次のようなエピソードがあります。
「私が木曽に住んで3年の終わりの頃に、渡辺幾太郎、藤本徳次、鍛冶倉邦二、能勢豊さんなど松本の文化人が、松本に音楽院を作ろうとのことで、森民樹氏(ロンドン留学の声楽家)が松本に疎開していたため森民樹先生を中心に音楽院を手伝ってくれとのことでした」(鈴木鎮一全集「歩いてきた道」より)。
 鈴木先生は、この著書の中で、「大人のヴァイオリン教育はある程度誤ってでき上がったものを修繕する教育であって、いままで東京で十分やってきたため興味はありません。私のやりたいのは幼児教育に対する私の新しい考え方と方法で小さな子どもを教えていくことにあります。子どもの才能がヴァイオリンをとうしてどのように伸びていくか、可能性については多年の研究から自信もあるし、教育に力をいれて指導させていただけるなら進めて行きましょう」と述べています。

 鈴木鎮一先生の思いは、子どもたちが日本の敗戦の中でどのように将来の日本を背負っていくか、このことまで考えをめぐらせ、幼児教育こそ重要であると認識したところにありました。そして、松本の文化人たちの熱心な誘いもあり、1946年(昭和21年)より松本に住み、その後半生を一貫して松本で実践したスズキ・メソードが、世界中にまで発展したのです。

 鈴木先生のスズキ・メソードは、「能力の法則」が基本になります。1978年国立音楽大学附属図書館発行の雑誌「塔」には、次のように記されています。

人は生まれつきそれぞれ特定な才能を持って生まれてくるものではなく、その元となる能力の素質を持っているものである。能力の素質とは、刺激と繰り返される訓練によって育つ特性をもった「才能の種子」ともいうべきものである。
 1 よりよき環境
 2 より早き教育の時期
 3 より多き訓練
 4 より優れたる指導法
 5 より優れたる指導者

 上記のことが幼児教育に重要であるとして、戦後すぐに鈴木先生が実践され、65年の歴史を重ね、今では世界46ヵ国40万人の生徒が学ぶまでに広がっています。

 この鈴木鎮一記念館には、鈴木鎮一先生の生涯はもちろん、おりおりのいろいろな記録、映像、写真などがありますし、生前、鈴木先生が過ごされていた家ですので、さまざまな思いを馳せることができます。ぜひとも松本にお越しの際には、鈴木鎮一記念館にもお立ち寄りください。