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●40代

1941年(昭和16年)43歳
9月、『力強き教育』(東洋文化叢書)を目黒書店より出版。初めて才能教育の概念とその方法を明らかにした。なお、この他に戦時中『母国語の教育法による小学教育の改革』を出版したが、発禁処分を受ける。

1943年(昭和18年)45歳
戦時下で学校経営が困難となり帝国高等音楽学校解散。水上飛行機のフロート製作工場に転換させられた鈴木バイオリンの木曽福島工場長となる。飢えと闘いながら材料の檜の伐り出しに従事。

1944年(昭和19年)46歳
7月31日、父・政吉死去。享年85歳。

1945年(昭和20年)47歳
終戦後、松本市在住の文化人、渡辺幾太郎、藤本徳次、能勢豊、神田平四郎、そして中部日本新聞記者の鍛冶倉邦二らが、帝国高等音楽学院時代の鈴木の同僚、森民樹(声楽家) を中心に音楽学校の開設を計画、鍛冶倉が鈴木を迎え入れようと木曽福島を訪れる。この頃、両親を失った豊田耕兒を木曽福島に引き取り、家族の一員として迎える。

1946年(昭和21年)48歳
9月、音楽学校では子どもを中心に教えたいとする鈴木の要望が通り、松本市下横田に松本音楽院開設。院長に就任、松本へ移る。主な講師は、ヴァイオリンが鈴木、奥村偵三郎、松井宏中、前田忠行、ピアノが鈴木静子、青木章子、声楽は森民樹、館石唯雄ら。12月、才能教育研究会の前身といえる「全国幼児教育同志会」結成。『幼児の才能教育と其の方法』を同会より出版。本格的に才能教育運動を開始。初めての支部というべき教室を加藤潔が東京で開く。

1947年(昭和22年)49歳
胃アトニーにかかり浅間温泉で療養、危篤状態に陥ったが漢方療法で回復。再び活動を始める。

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